(明治42年)• 本サービスは,京都市が管理する認定路線について,路線名とその経路を公開する参考図です。 京都という地に於いて、路面電車の存在価値というものは 恐らく不可欠なものだったに違いありません。 5号系統• 北野線 堀川中立売 - 下ノ森間(後の京都市電堀川線の一部区間)開業。
2入庫する際には乗客に「電車乗継券」が渡された。 東洞院車庫開設。
あの妙味が忘れられなくて、またまた京都の街を歩いてみることにした。
北大路線 千本北大路 - 北大路大徳寺前延伸開業。 七条線 七条内浜-七条烏丸 開業 道路拡築 並 電気鉄道敷設事業 延長 [ ] (大正6年)• 運賃を6円に改定。
25号車 甲賀カントリー倶楽部跡:滋賀県湖南市三雲 28号車 北阪ビル:京都市下京区烏丸五条上ル 塗装変更。
2月13日 京都市に原敬内務大臣から京都市営電気鉄道敷設の特許が下附される。 当初水車に利用する予定であった水力が発電に使えると知った設計者は、急遽渡米して世界初といわれる水力発電設備を調査の上、帰国後ただちに設計を変更して蹴上に水力発電所を建設した。 (昭和43年)• 2008年に塗装し直しされた。
18号系統• たまたま、京阪電車側の軌道が工事中でした。
13号系統• 伏見線 八条新道(後の京都駅八条口) - 塩小路高倉 - 東洞院塩小路 - 七条停車場前間が延伸開業し、官営鉄道東海道本線を跨ぐルートが完成。
敷地面積:29,593. 毎年正月三が日には京都駅から日本有数の初詣客で賑わいをみせる伏見稲荷大社への参拝客を輸送し、平時には 京都市街と伏見を結ぶ重要な路線であったが、1970年(昭和45年)に75年の歴史に幕を閉じた。 石標は,日本最初の路面電車伏見線開業80周年を記念して昭和50 1975 年に建てられました。
京都市電はの中で唯一(およびそれに準じた車両)を製造しなかったが、から製造されたは、近代化された軽量車体で(一部は間接制御を装備)弾性車輪を履き、それらに匹敵する車両であった。
西大路線 西ノ京円町 - 西大路四条開業。
西大路線 西ノ京円町-西大路四条 開業 1928年(昭和3年)• 6月28日 京都市がの ユニオン・パリジェンヌ銀行(現在の 銀行)などから総額4,500万の借款を得る。 線路とか道路とかは、一度に全線が開通しないのが常でしょう。 路線名は通りの名、電停名は東は東大路・西は西大路・南は九条・北は北大路までの範囲にある各通りに所在している場合は交差する縦横の通りの名を組み合わせたものが多く付けられた(を参照)。
実行された事故回避策は、先導役に速足の少年を雇い、「電車、来まっせ。 1806号車 つぼみ保育園:京都市伏見区淀際目町 1811号車 料理店「京やまざと」:京都市左京区大原来迎院町 観光客への客寄せとして庭の部分に置かれていた。
京都電気鉄道最後の延伸区間となる伏見線 東浜 - 中書島が延伸開業し、七条駅前 - 中書島全線開業。
岡崎公園はここよりずっと東にありますが、市電の電停としては一番近いところになります。 京都市電七条線 七条大宮 - 七条烏丸、今出川線 大宮今出川 - 千本今出川、千本大宮線 四条大宮 - 七条大宮開業。 11月21日 七条線 山陰線踏切東 - 七条千本(山陰線踏切西)延伸開業。
【シンボルマーク】列車から見える比叡山をイメージし、ラインカラーは緑としています。
千本大宮線 四条大宮-七条大宮 開業• 昭和40年代、ご多分にもれずモータリゼーションの影響を受け、 路線は次々と廃止、縮小されてゆきました。
吉川文夫『路面電車の技術と歩み』16-20頁。
そして昭和53年、全線が廃止。
東山線が最初に開通したのは東山三条~馬町で、1912 大正元 年のことです。 北大路線 北大路大徳寺前-上総町 開業 (昭和7年)• [ ] 三線軌条区間 [ ] 京都電気鉄道は、一方のが自ら建設した路線は(広軌)であった。
12「とろりい・らいんず」No. また京都らしく、寺社の名を冠した電停も多かった。
継続は力なり! 近所のご主人(40才くらいかな)は、ジョギング通勤をされてます。