展示の責任を持つのは、お金を出した自治体ではなくて、芸術監督と実行委員会になります。 あいちトリエンナーレにおける企画展の一つである「表現の不自由展・その後」(以下、「表現の不自由展」とする)が、外部からの脅迫を受けて「危機管理上の正当な理由」によって中止された。
4トリエンナーレと同様に、2年に1度、日本の各都市で芸術祭がおこなわれています。
)) ・補助対象事業 「日本博」の開催を契機として,地域住民や芸・産学官とともに取り組む,地域の文化芸術資源を活用した文化芸術事業であって,観光インバウンドの拡充に資するもの。
道路を使うということが判例上、基本的にはデモの自由ということで認められているから、いくら内容が気にくわなくても認めなければいけない。
13それに対して、 「その展示、やめた方が良いんじゃない?」という形で寄り添われれば、それは実質的に内容に口出しをすることになります。 文化庁は、日本の行政機関のひとつで、文化の振興及び国際文化交流の振興を図るとともに、宗教に関する行政事務を適切におこなうことを任務とする文部科学省の外局です。
しっかりと情報確認を行い、適切な対応をとる」と書き込んだ。
なにしろオリンピックのための警備を理由に、国会では野党が猛反対した「テロ等準備罪(共謀罪)」を無理やり通した首相である。 例えば、日本のお笑い芸人がバラエティー番組で肌を黒く塗るメイクをしたことが、人種差別だと指摘されたことがあります。
3前者に該当すると明確に述べられたものの例としては、米国の例ではありますが、児童ポルノなどがあげられます。
3 不交付決定の前になされている「採択」について なお、私は以前、弁護士の先生からご依頼いただき、別件で適正化法の適用に関する意見書を書く仕事をしたことがありまして(某に提出)、少しずつ思い出してきたのですが(少し前のことだったので実は当初は忘れていて、新聞記者などの情報をうまく理解できなかったのですが)、今回のニュースで専門家によるチェックである「採択」を経ているというのは、適正化法で明確に規定された行政作用ではなくて、内示ないし内定という事実上の行政作用ということになります。
双方のやり取りの中で、あの表現が「良かった」「悪かった」と反省的に見ていくことが、理想的なあり方なんだと思います。
本記事でトリエンナーレに興味をもたれた人は、ぜひ一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
「不自由展」中止までに何があったか 荻生田文科相は、不交付の理由を「申請のあった内容通りの展示会が実現できていない」と述べ、「中身については文化庁はまったく関与しておらず、検閲にはあたらない」としたが、このようなかたちで、一度決まった補助金が取り消される例は聞いたことがない。
19あいちトリエンナーレの補助金問題が炎上 なんじゃこれは。 公権力が『この内容はよくてこれはダメだ』と言うのは、検閲ととられても仕方ない」と批判するなど、表現の自由をめぐって意見が対立していた。
「独立映画鍋」の立場としては、今回の文化庁の決定に対しては「反対」の立場を明確にしつつも、映画人として、現場の声を公的機関に伝える架け橋的な役割を果たしていくことを表明。
同じくツイッターで「こんな前例を許してしまったら、今後政府の意向に沿う文化事業にしか補助金は出せないということになるではないか。 それに対してどう対応すべきか。
15ただそれに対して、芸術祭を企画する自治体などが萎縮する可能性はあります。 その延長に、多数派を代表している形の時の政権が認める文化、好む表現は公的助成が受けやすく、逆に、政権にとって気に入らない「少数派」の文化は排除されてもいい、という流れが出来ます。
政治的な判断ではないということをきちんと担保するということです。
3%にすぎない。 しかし、今回のあいちトリエンナーレでは、行政が直接に芸術祭を開催するという形ではなく、実行委員会を作り、間に芸術監督やプロのキュレーターを挟んで、彼らの責任で芸術祭をやる形を作っています。
15出典:CBCテレビ こんな報道がありました。
過疎化の進む日本有数の豪雪地・越後妻有(新潟県十日町市、津南町)を舞台に里山の暮らしが今も豊かに残っている地域で、「人間は自然に内包される」をテーマに観光や雇用、交流人口の拡大への取り組みが期待されています。
この日に「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」と、京都アニメーションへの放火事件を彷彿とさせる脅迫FAXがあり、あいちトリエンナーレ実行委員会の委員長でもある大村知事が津田大介・芸術監督に対して、中止を提案した。
こちらが特定の芸術分野にとどまる問題ではなく、民主主義の基本理念である「表現の自由」に対する大きな問題を孕んでいると考えた「独立映画鍋」は、この件に関して文化庁に抗議声明を提出。